日本において数霊を駆使したものといえば何と言っても姓名判断です。文字の画数で占う占術ですが、しかしこれが結構やっかいな占いなのです。と言うのもあまりにも流派によって意見が違うからです。自らの流派の正当性を唱え、他流派をけちょんけちょんにけなします。この占いは当たりはずれの落差が激しいために諸流派の先生方がいろいろ解釈を変えたり独特の味付けをしてしまったのです。
何故当たりはずれが激しいのでしょうか。
運には先天運と後天運との二種類があり、過去世からの行為の報いとして最初から定まっているものを先天運、いわゆる宿命と呼ばれるものがそれにあたり、現世における後天的星導を後天運といいます。
先天運をみる占術は生年月日で占う占術で、代表的なものが西洋占星術や四柱推命です。これは定まった宿命を看るわけですから、占者の力量によってはかなり正確に当てることができます。
一方、後天運をみる占術で代表的なものが、家相や姓名学です。後天運は先天運(宿命)を凌駕する事は出来ません。したがって宿命に逆らうような占断ははずれてしまいます。姓名判断は占いの中では比較的はずれが多い占いとして知られていますが、その理由がこういうことだったのです。
人生は先天運が根幹であり、後天運はその枝葉の部分です。このことを考えずに、はずれを補うために滅茶苦茶な曲解や味付けをしてしまう占者が多いのです。あくまでこの占いは後天運を占う占術であることを忘れてはいけません。姓名判断だけで全てを語ろうとするから無理が生じるのです。名前で全てが決まるなら他の占いは必要ないことになってしまいます。
と言ってどうでもいい占いという訳ではありません。むしろ非常に重要な占いです。後天運を占う占術には先天運を占う占術にはない、決定的な利点があります。それは凶相を人為的に吉相へ変えることが出来るということです。生年月日を変えることは出来ませんが名前を変えることは出来ます。すなわち改名です。通称名を名乗ればよいのです。昔、中国では本名以外に字(あざな)を名乗っていました。三国志でおなじみの諸葛亮孔明は姓が諸葛、名を亮、字を孔明です。あの時代、男子は成人すると自分で本名以外に通称名を名乗ったのです。
現在日本ではインターネット時代に入り匿名性を必要とする機会が増えました。世の中には仕事で通称名を使う人はごまんといます。別に芸能人だけの特権ではないのです。この際、本名以外に通称名を持つことを考えてみるのもよいでしょう。
姓名判断の原理
日本の姓名判断は陰陽五行説によって構築されています。
数霊 |
十干 |
五行 |
1 |
甲 |
木 |
2 |
乙 |
木 |
3 |
丙 |
火 |
4 |
丁 |
火 |
5 |
戊 |
土 |
6 |
己 |
土 |
7 |
庚 |
金 |
8 |
辛 |
金 |
9 |
壬 |
水 |
0 |
葵 |
水 |
上記のように数に十干を対応させ、数の第一位で五行を決めます。
例えば25の場合、第一位が5なので十干は戊、よって五行は土です。
昔から姓名学では、第一位が同じものを「〜系列の数」と言ってきました。例えば25、35、45等は「5系列の数」と言います。これは第一位が最もその数字の本質を表しているからです。したがって第一位が同じ数字の数は本質が同じなために、象意が似かより同系列の数として一括りにされたわけです。
この第一位に来る数を「系数」と言います。
あるサイトによれば11は甲甲で12は甲乙、13は甲丙・・・・21は乙甲・・・といった具合に各位の数をそのまま十干に変えて解釈していました。しかし、これは今一つ納得がいきません。こう見ていきますと十干だけで姓名判断の数を捉えていくのは無理があると思います。一から十までの単数を五行に置き換えるには良いと思いますが。
私は五聖閣の人間ではありませんし知人もおりません。以下に述べることは私の推測です。
私が所有している五聖閣の本には、数理を詳しく説明した箇所は見あたりませんでしたが、ヒントになるような記述はありました。まとめますと・・・
- 純然たる東洋理論のみで出来ている。(まっ、当然です)
- 9×9=81
- 易の基は、河図洛書。河図洛書は数に他ならない。
河図洛書の詳しい解説は他のサイトに譲るとして、数霊としてみた場合、河図は一から十。洛書は一から九です。よって9×9=81の記述を鑑みますと、洛書が重要になってきます。
洛書は三次魔方陣です。魔方陣とは縦・横・斜めどの方向に足しても同じ数になる方陣をいいます。ちなみに三次魔方陣は15になります。まずは図1をご覧下さい。
三次魔方陣は基本的にこのパターンしかありません。(上下が逆転したりはある)
この数の移動を「飛泊」と言います。図2のように飛泊に従って三次魔方陣から九次魔方陣に次元をあげてやると・・・
最終的には図3のようになります。9×9=81の魔方陣です。これは縦・横・斜め、どの方向に足しても369(ミロク)になります。別名ミロク方陣とも言います。
右上段は秘数2(月)のグループになっていますし、その隣は秘数9(火星)のグループになっています。私は今、惑星で説明しましたが惑星の代わりに易学で各グループを紐解いていると考えます。少々難しい説明だったかもしれませんが、要するに純然たる東洋理論で数理を捉えているということは理解できたかと思います。
二大派閥
姓名判断は私の知る限り最も厄介な占いの一つです。それは先にも述べましたが当たりはずれの落差が激しいため流派によって解釈や画数の数え方が違うからです。しかし大別すると二つの派閥に分かれます。
一つは姿派(新字派)、もう一つは字典派(旧字派)です。
姿派は読んで字の如く見たままの姿の画数で数えます。すなわち漢和辞典に載っている画数で数えるのです。また、筆跡によって画数が変わるという考え方もありますが、これは全くのでたらめです。そんなことを言ったらこの占いは全く使用不能になります。はずれを補うための苦肉の策による曲解です。
字典派は康煕字典という昔の中国の字典を基本としています。例えば「桜」という字の場合、姿派なら10画ですが字典派は21画と数えます。なぜなら「桜」という字は本来は「櫻」と書くからです。この「桜」は略字だから本来の画数で数えるべきだという考え方なのです。この方法なら略字や筆跡による画数のばらつきがなくなります。その他部首の数え方も違います。例えばさんずいは水という字が変化してできた部首なので字典派は4画と数えます。さらに一から十までの数字は特別な霊意を持つためその数字自体を画数として数えます。例えば八は8画、九は9画となります。この考え方は昭和の初期に熊崎健翁氏が「姓名の神秘」という本で発表したもので彼が字典派の開祖です。現在の姓名学はほとんどがこの「姓名の神秘」を土台にできていると言っても過言ではありません。
さてこの様に姿派(新字派)と字典派(旧字派)では根本的に数え方が違うのです。例を挙げてみましょう。
「桜田 泳八」という名前の人がいたとします。
新字派の場合
旧字派の場合
と、この様に画数が違いますので当然鑑定結果も違ってきます。ただし全ての名前がこの様に違う結果になるかというとそうではありません。私の名前「梶原 煌平」は、姿派、字典派、どちらの数え方でも同じ画数になります。どちらの流派で数えても同じ画数になる名前は結構多いものです。
ではどちらの流派が正しいのでしょうか?
現在、姿派、字典派の両派閥は勢力が拮抗しております。どちらかが正しければいずれか一方の勢力が抜きん出るはずですがそうなっていません。大体同じくらいと言って良いでしょう。
私の個人的見解でここでは字典派(旧字)で説明します。姿派が気になる人は字のままの画数ですので自分で調べてみてください。
五つの格
さて姓名判断には基本となる五格があります。それを説明しなければなりません。
基本の五格とは天格、主格(人格)、地格、外格、総格の五つです。他にも雲画だの底格だの流派によっては色々あるのですが基本となる五格が悪いと話になりませんので考えなくてよいでしょう。
- 天格
- 苗字の画数。その人の先天的、遺伝的要素。姓名判断ではあまり重要視しません。また、通称名を名乗るときにここを変える人は芸能人でもない限りまずいません。
- 主格
- 人格とも呼ばれる格。苗字の一番下の字と名の一番上の字を足した画数。社会に出て働き始める頃から現役を引退するまでの中・壮年期を司る格。年齢でいえばおよそ二十代から五十代頃までの運に関係します。ここは流派によっては一番重要な格とするところもあります。私もかなり重要だと思っています。特に男性は重要です。
- 地格
- 名の画数。その人の家庭運、恋愛運、基礎運を司る格。初年運の格でもあり、年齢的には生まれてから二十歳ぐらいまでの間に強く関わります。殆どの女性は結婚して姓が変わってしまうので他の四格は変化しますが地格だけは変わりません。内容的にも女性には特に重要な格です。
- 外格
- 総格から主格を引いた画数。その人の対外的なこと全てに関わる格。人間は他との関わり合い無く個で生きていくことはできません。この格は他格を補助する格です。
- 総格
- 姓名、全ての画数。その人の根本的後天運を司る格。人生全般に広く薄く関わります。また、人生の晩年に大きく作用します。男女とも重要です。