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占術研究家    
   梶原煌平  

ひふみ神示  Hifumishinji No.24~30

ひふみ神示 第24巻〜第30巻 補巻

※太字が原文 細字が解説

ひふみ神示 第24巻 黄金の巻

日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。
世界の日本と口で申してゐるが、生きかへるもの八分ぞ。
八分の中の八分は又生きかへるぞ。
生きかへっても日本に捉はれるぞ。
おはりの仕組はみのおはり。
骨なし日本を、まだ日本と思うて目さめん。


ネトウヨのことですね。



今迄の日本の宗教は日本だけの宗教、このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。教でないぞ。
八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。
日本人とは世界の民のことぢゃ。
一度日本すてよ。日本がつかめるぞ。
日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。
悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。
物の食べ方に気つけよ。


宗教を終わりにさせないといけないようです。



三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。
皆仲よう相談し合って力合せて進め進め。
弥栄えるぞ。
二つに分れるぞ。
三つに分れるぞ。
分れて元に納まる仕組。


事が始まって15年で全体像が見えてくるようです。



宗教によるもののみ天国に行くと考へるもの、自分の教会のみ天国に通ずると思ふもの、皆悪の眷族ばかり。
迷ふなよ。


宗教の思い込みを終わりにする時です。



天国の門、貧者富者の別ないぞ。
別ある境界つくるでないぞ。
世界中一度にゆすぶると申してあらう。
釦(ボタン)一つででんぐり返ると申してあること、未だ判らんのか。


世界中一度にゆすぶるか。やはりポールシフトですか。



道は一つ二つと思ふなよ、無数であるぞ。(但し内容は一つぞ。)
新しき道拓いてあるに、何故 進まんのぢゃ。


ちょとよく分かりません。パラレルワールド?



世界の人民一人一柱 守りの神つけてあるぞ。

守護霊のことですね。



残る一厘は悪の中に隠してあるぞ。

これも謎解きのポイントのような気がします。



この度のイワト開きに使ふ身魂は、我の強い者ばかりが、めぐりだけのこと償って、償ふことぞ。
天地かもう神でも我出せんことであるぞ。
神々様も懺悔して御座るぞ。
まして人民。


カルマの清算。



神業奉仕すれば自らめぐり取れるのぢゃ。めぐりないもの一人もこの世には居らん。

無原罪は聖母マリアだけと言われています。本当かどうか知りませんが。



このほうの許へ引寄せた人民、八九分通りは皆一度や二度は死ぬる生命を神が助けて、めぐり取って御用さしてゐるのぞ。
奉仕せよ。
どんな御用も勇んで勉めよ。
肚に手あてて考へて見よ。
成程なあと思ひあたるであらうが。
喉元すぎて忘れて居らうが。


役員の方々は瀕死の体験をしたことがある人のようです。



 神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意してゐるぞ。
自分に自分がだまされんやうに致しくれよ。
自分の中に善の仮面を被った悪が住んでゐるに気つかんか。
はらひ清めの神が 三 (スサナル)の神様なり。
サニワの神は I曰十 の九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。
それぞれにお願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ。
この道に入って始の間は、却って損したり馬鹿みたりするぞ。
それはめぐり取って戴いてゐるのぞ。
それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。
おかげのはじめ。
次に自信ついて来るぞ。
胴がすわって来るぞ。
心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。
悪の霊はみぞおちに止まりかちぞ。
霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従ふもの。
このこと判れば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするぞ。
足には足袋、手には手袋。


これは実践者全員でしょうね。最初はカルマ落としで苦しいそうです。身に覚えがあります。



 口で云ふことよくきけよ。
肉体で云ふこと、神の申すこと、よく聞きわけ下されよ。霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。
はげしくなるぞ。
世界一平まだまだ出来さうで出来ない相談。
奥の奥、見通して下され。
うごきは必要であれど、皮むくぞ。
次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ。
寒い所 暖かく、暑い所 涼しくなるぞ。
仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと申してあらう。
神示しめすに、順乱して来るぞ。
慾出して下さるなよ。
順乱れる所に神のはたらきないぞ。
人民 自由にせよと申して、悪自由してならん。


九分九分九厘は邪霊。粗方邪霊ということですね。よく聞く話しです。



判らんこと申すやうに、自分のものさしで測るし、学の鼻高さんには神も閉口。

確かに神秘世界を否定する人は知識人が多いです。



生活が豊かになって来るのが正しい理(ミチ)ぞ。
行き詰ったら間違った道歩いてゐるのざ。我では行かん。


自分を活かす道に進めば必然的に生活が豊かになると。道理です。



世を捨て、肉をはなれて天国近しとするは邪教であるぞ。
合せ鏡であるから片輪となっては天国へ行かれん道理ぢゃ。
迷信であるぞ。
金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ。
三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。
少し遅れると人民は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年もつづけて嘘は云へんぞ。申さんぞ。


出家して世俗を離れたストイックな生活をしたら天国が近くなるイメージが一般にありますが、迷信だそうです。むしろ天国へは行けないそうです。実生活が修行そのもの。私もそう思います。



 省みると道見出し、悟ると道が判り、改むると道進む。
苦しむばかりが能ではない。
自分の中にあるから近よって来るのであるぞ。
厭なこと起って来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。


この辺は深い話しばかりです。



みたまみがきとは善いと感じたこと直ちに行ふことぞ。

割と簡潔です。



世の中には順序あるぞ。
それがカズタマ(数霊)、動くと音出るぞ。
それがコトタマ(言霊)、ものには色あるぞ。
それがイロタマ(色霊)。


数、音、色、これら全てに霊的な作用がある。知ってました。ケイシーから学びました。



めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。
めぐりは自分でつくるのであるぞ。
他を恨んではならん。
美の門から神を知るのが、誰にでも判る一番の道であるぞ。
芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。


カルマのことですね。「芸術から神の道に入る」か。私も絵を描きますし、岡本天明も画家。火水伝文を書いた方は確かイラストレーターだったような?皆さん芸術に触れましょう。



 ひかる誠の行をさしたら、皆 逃げて了ふから、ここまで甘くして引張って来たなれど、もう甘く出来んから、これからはキチリキチリと神の規則通りに行ふから、御手柄結構に、褌しめて下されよ。
この世は神の国の移しであるのに、幽界から移りて来たものの自由にせられて、今の体裁、この世は幽界同様になってゐるぞ。


大甘できたが、もう限界だそうです。文面から明らかに今、読まれることを想定しています。



 日本は日本、唐は唐、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスはメリカキリスぢゃ。
分けへだてするのは神の心でないと申す人民 沢山あるが、世界は一平ぢゃと申して、同じことぢゃ、同じ神の子ぢゃと申してゐるが、頭は頭、手は手、足は足と申してあらうが。
同じことであって同じでないぞ。
悪平等は悪平等ぞ。
世界丸つぶれのたくらみぞ。
この道理よく心得なされよ。


それぞれ担当があるようです。各国役割があるということですね。



 つつましく、正しくして行けば その国々で一切不足なく暮して行けるやうに何も彼も与へてあるに気付かんのか。

今の食生活を大幅に変えれば可能でしょう。



百年祈りつづけても祈りだけでは何もならん。
それは祈り地獄ぢゃ。
祈り地獄 多いのう。
肉体人は肉体の行せねばならん。


祈ってばかりでは何の解決にもならないと。ここは物質界なので具体的行動が重要なようです。



ひふみ神示 第25巻 白銀の巻

天国ぢゃ、霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、そんな分けへだてはないのであるぞ。
時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのぢゃが、時節到来したので、まことの天地のことわりを書き知らすぞ。
三千の世界の中の一つがそなた達の世界であるぞ。
この世も亦三千に分れ、更に五千に分れてゐるぞ。
このほう五千の山にまつれと申してあろう。
今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。
人民のタネによっては七つしか分らんのであるぞ。
日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であるぞ。
人民では六つか七つにしか分けられまいが


色については考察のページにある梶原流数霊色相術を参照してください。



仙人は幽界に属してゐるのざと聞かしてあらうが。

仙人はありがたいイメージがありますが、そうではないのでしょうか。



天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。死も亦あるのであるぞ。
死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。死とは生きることぞ。


死は他の階層へ行くことですね。



時、所、位、総てが想念の中、想念のままに現はれて来るのであるぞ。
判るやうに申すならば、時間も空間も映像であって、情態が変るのみのことであるぞ。
情態のもと、本質は限りないから、無限であるから、自由であるから、霊界は無限、絶対、自由自在であるぞ。
現界では、時間に順に得たものでも、心の中では時間に関係なく、距離に関係なく、一所へならべられるであらうがな。
心の世界で、時間、空間のない道理これでよく判るであらうがな。


夢の中ですね。



ひふみ神示 第26巻 黒鉄の巻

今まいた種、今日や明日には実らんのざ。
早く花が見たく、実がほしいからあせるのぢゃ、人間の近慾と申すもの。
神の大道に生きて実りの秋(トキ)まてよ。まいた種ぢゃ。
必ず実る。
誰も横取りはせんぞ。
万倍になってそなたにかへると申してあらう。


陰徳の結実を速攻で望むのは無理ということで。



神示読んで、神示読まん人間と神示肚に入り込んでもう大丈夫と、神が見届けた人間と間引くのであるぞ。

神は厳格。間引かれないようにしましょう。



小さいことから始めよ。
小乗の行と馬鹿にするでないぞ。
小乗の行から大乗の真理を掴むのであるぞ。


仏教のことですね。自分が悟れないのに他を導くなど不可能と。



悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。
一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ。【真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。形式に囚はれなくなるぞ】。
真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。


アメリカとロシアが戦争をするふりをして、新秩序にもっていく算段か?
経済で見れば一位はアメリカ、二位は中国。この二国を争わせてロシアが漁夫の利を得るとか?タイター予言のパターンです。
悪の総大将はロシア説が有力です。私もそう思います。となれば、後者かな。



神から出た教なら、他の教とも協力して共に進まねばならん。
教派や教義に囚はれるは邪の教。
豚に真珠となるなよ。


これは全く同感です。デタラメな枝葉の部分の比較をするから違って見えるのです。一体どこを見とるんじゃという気分です。占いとて同様。丹念に見ていけば原理の根本が同じであることに気付くはずです。それが梶原流数霊術です。



身も心も嬉し嬉しなるのがまことの神ぢゃ。
ものの嬉しさだけではゼロぢゃ。
たまの嬉しさだけでもゼロぢゃ。
よく心得なされよ。
死後のみ説く宗教はゼロの宗教ぢゃ。
迷ふでないぞ。
この世で天国に住めんもの、天国に行ける道理ないのぢゃと申してあらう。
神は人間の命、人間は神の容れものであると申してあらう。
人間の極まるところは神であるぞ。
霊人は中間の存在ぞ。
人間は神への土台ぞ。
この道理判るであらうが。


人間は神の分霊した存在で、極まれば神と合一すると。つまり、最初に戻る訳ですね。世の中全部輪っかになっていますが人間もその一つと。



神は人間の想念の中に入ってゐるのぢゃ。
想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。
人間の言葉となって人間に現はれる。
言は神であるが人間でもあるぞ。
自分が自分に語るのであるぞ。


言葉は神であり人間か・・・。



この世のことだけで この世のこと動かんぞ。
霊界との関係によって、この世が動いてゐる道理判らねばならん。


霊界の写し。



死後の生活知らすことはよいなれど、それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。
奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。
それのみで道を説いてはならんぞ。
そんなこと位でマコトのホッコンの改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。
今迄のやうな宗教は亡びると申してあらうが。
亡びる宗教に致して下さるなよ。


宗教の限界がきています。やはりスピリチュアリズムが正解かと思います。自分で知って自分で実践してください。



禁慾は神の御旨でないぞ。慾を浄化して、生めよ。産めよ。
今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ。
慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。慾を導けよ。


欲深、守銭奴を否定すべきで、欲そのものを否定するなということですね。確かに欲は人間が動くエネルギーではあります。



天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇であるぞ。
闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐるぞ。
天界は昇り易く、幽界にはおちにくいぞ。
神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならんと、今迄は説かしてゐたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ。
影しか判らんから、時節が来て居らんから、さう説かしてゐたのであるが、この度、時節到来したので、マコトの道理 説いてきかすのぢゃ。
神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しとなることぞ。
嬉し嬉しとはそのことであるぞ。
神と金と二つとも得ること嬉しいであろうがな。
その次には霊の霊とも共に仕へまつれよ。
まつれるのであるぞ。
これが、まことの正しき理(ミチ)であるぞ。
今迄の信仰は何処かにさびしき、もの足りなさかあったであらうが。
片親がなかったからぞ。
天に仕へるか、地に仕へるかであったからぞ。
この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな。
清くして富むのがまことぢゃ。
地も富まねばならんのぢゃと申してあらうが。
これから先は金もうけばかりも出来ん。
今迄のやうな神信心ばかりも出来ん。
神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。
金がたまらねば深く省みよ。理に外れて御座るぞ。
人は罪の子でない、喜びの子ぞ。


中庸の教えですね。



人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。
悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。


死を迎える時点での、その人の性情で行き先が決まると。



ひふみ神示 第27巻  春の巻

新しき御代の始めのタツの年。
スメ大神の生れ出で給ひぬ。


来年2012年が辰年です。



一升桝もってきて一斗入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。
大き桝もって来い。
頂くには頂くだけの資格いるぞ。
一歩づつ進め。
一歩づつ絶えず進めよ。
それより他に道はないのぢゃ。


先に陰徳を積めということですね。



苦しみの神、因果の神 呼んでおいて、不足申している者 多いのう。
自分で呼びよせながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。
同じものでも表からと裏からとでは違ふのぢゃ。
同じ目で見ても、ちがってうつるのぢゃ。心得よ。


善因善果、悪因悪果。
しかし悪果が自分を成長させる場合もあれば、善果が一歩間違えれば自分を堕落させる要因にもなると。見方を変えると中々良い悪いは、言えないものですね。



拝むまつりはまつりのカタぢゃ。
カタから入るのが入り易いが、この程度の境地では戒律いるぞ。
カタに囚われてはならん。
戒律の世界にいつ迄もいてはならん。


先に出ましたね。拝んでばかりではダメ。



総てが神であるぞ。
一神ぢゃ。
多神ぢゃ。
汎神(ハンシン)ぢゃ。
総てが神ぢゃ。


霊的世界の頂点に君臨するものだけを神とする宗教が一神教、高級霊も神とするのが多神教、この世の全てが神の分霊した存在と考えるのが汎神論。



その人民にメグリなくしてもメグリ負ふことあるぞ。
人類のメグリは人類の誰かが負はねばならん。
一家のメグリは一家の誰かが負はねばならん。
果たさねばならん。善人が苦しむ一つの原因であるぞ。
神の大きな恵みであり試練であるぞ。
判りたか。


これは大変重要な法則の一つですね。覚えておきましょう。



むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。
めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ。


鬱病のことでしょうか。



親子、夫婦、兄弟姉妹と生れても逆縁あるぞ。
カタキ同士 結ばれることあるぞ。
それは神の大き恵みぞ。


わざと試練を与えているわけですね。



おかげは、すぐにはないものと思へ。
すぐのおかげは下級霊。
まゆにつばせよ、考へよ。


陰徳を積んでもすぐには跳ね返ってこないようです。



新しきカタはこの中からぞ。
日本からぞ。
日本よくならねば世界はよくならん。
外道の武器すてよ。


立て替えは日本から始まる。



身につかんもの、身につかん行は、いくらしても何もならん。
いらん苦労はいらんと申してあろう。


意味不明な行はやめましょう。



人民の因縁性来はみな神示にかかしてあるぞ。
そなたのこと何も彼も一目ぢゃ。
因縁判ってうれしうれしで御用結構。
うれしおそろしくなる仕組。


読んだ人はどこかに該当するようです。



行く水にも雲にも咲く花にも神のみ心あるぞ。
それ見る目ないからわからんのぢゃ。
掃除すれば判る。
掃除結構。
拝むは拝まんよりはましであるぞ。
しかし拝んでばかりでは病気は治らん。
金はもうからん。
拝むばかりで金もうけ出来たり病気治ったりすると思ふたら間違ひぞ。


松居一代さんは正しいということになります。



むさぶり取ったり横取りしたり、自分のものでないもの、もうけたカスを神にささげて威張ってゐるが、それはささげ物にならん。
神は受け給わんぞ。
泥棒のお残りちょうだいは真平ぢゃ。
自分のもの先づささげるから弥栄えるのぞ。
おかげ万倍間違ひなし。


悪いことをして儲けた金をいくら善行に使っても陰徳を積んだことにはならない。



一度に神様を知りたいと申してもさうは行かん。
一年生からぢゃ。
出直し出直し。
子供に大学のことは判らん。
十貫の荷物はかつげん道理。
進むには、それ相当の苦労と努力いるぞ。


私の拙い知識で十年ちょっとです。



ひふみ神示 第28巻 夏の巻

外から行く宗教や哲学や科学が元を判らなくしてゐるのぢゃ。
元わからんで生きのいのちの判る筈ないぞ。
今の世は逆様ぢゃ。
先祖から正せよ。
原因から正して行かなならんぞ。


外から攻めるのではなく内から。



他の世界、他の天体、他の小宇宙からの影響によって起る事象が例外と見えるのぢゃ。

他の霊界からの霊的波動、また太陽系以外の惑星系や他の銀河系からの星導など、様々な霊的要因が地球に作用している。



地の上にあるもの、人間のすること、その総ては霊界で同じことになっていると申してあろうが。
先づ霊の世界のうごき大切。霊の食物、霊の生活、求める人民 少ないのう。


写し理論ですね。



すべて世の中の出来ごとはそれ相当に意義あるのであるぞ。
意義ないものは存在ゆるされん。
それを人間心で、邪と見、悪と感ずるから、狭い低い立場でゐるから、いつまでたってもドウドウめぐり。
それを毒とするか薬とするかは各々の立場により、考へ方や、処理方法や、いろいろの運び方によってしるのであるから、心せねばならんぞ。


嫌なことがあっても、その人の取りよう一つです。



ひふみ神示 第29巻 秋の巻

同じ神の子でも本家と分家とあるぞ。
本家は人間ぢゃ。
分家は動植物ぢゃ。
本家と分家は神の前では同じであるが、位置をかへると同じでないぞ。
三十年で世の立替いたすぞ。
これからは一日ましに世界から出て来るから、如何に強情な人民でも往生いたすぞ。


これは今読まれることを前提としてますね。神示が書かれてから広まるまでのタイムラグを想定しています。
ここで出てきましたね。30年。やはり完結は2041年と見ました。



 他を愛するは真愛ぞ。
己のみ愛するのは自己愛ぞ。
自己愛を排してはならん。
自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させねばならん。
そこに新しき理(ミチ)ひらけるのであるぞ。
自己愛を悪魔ととくは悪魔ぞ。
無き悪魔つくり、生み出すでないぞ。
一段昇らねば判らん。


自他共に愛せと。



 みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなるのであるぞ。
ぢゃが皆それぞれの国は一つのへそで、大き一つのへそにつながってゐるのであるぞ。
地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれの、又自づから異なる小天国が出来、民族の独立性もあるぞ。
一色にぬりつぶすような一家となると思ふてゐるが、人間のあさはかな考へ方ぞ。
考へ違ひぞ。


みろくの世は表面的には現状に近いまま、深いところで繋がった世界のようです。



 人民、うそが上手になったから中々油断ならんぞ。
下々の神さまも、うそ上手になったなぁ。
善ぢゃ悪ぢゃと申してゐるが、人民の善はそのまま霊人の善でないぞ。
そのまま霊人の悪でないぞ。
心して呉れ。


日月神示の善悪は難しいです。基本的には位置、目線を変えることによって簡単には善悪の判断が出来なくなるということでしょう。



 【科学に・入れると宗教となるのぢゃ】。・は数。カネは掘り出せん。
生み出してくれよ。


最近の科学はオカルトそっくりです。時間、空間という世界に深く切り込んでいくとそうなるようです。



マコトのことはトリの年。

やっぱり2041年がラスト。トリをつとめるようです。



ひふみ神示 第30巻 冬の巻

全文重要。



ひふみ神示 補巻 月光の巻

病むことは神から白紙の手紙を頂いたのぢゃと知らしてあろう。
心して読めよ。
ありがたき神からの手紙ぞ。
おろそかならん。
 腹八分、二分は先づささげよ。
運ひらけるぞ。病治るぞ。


腹八分は健康のもと。



数字にも文字にも それぞれの霊が宿って居り、それぞれの能(ハタラキ)をしてゐるのであるぞ。
順序が判れば初段、和に徹すれば名人


私し、梶原流数霊術と申します。精進します。



 与えることは頂くことぢゃと申しても、度をすぎてはならん。
過ぎると、過ぎるものが生れて、生んだそなたに迫って来るぞ。


物事は程々に。これも中庸の教え。



 五十九柱と申してあるが、その中の九柱はかくれた柱ぢゃ。

役員さんでしょうか。隠れた役員がいる?



三千世界を一つにまるめるのが この度の大神業ぞ。
世界一家は目の前、判らんものは邪魔せずに見物して御座れ。
神の経綸 間違ひなし。


時々見捨てたようなコメントがあります。しかし、差し伸べた手を振り払うような者につける薬なしでしょう。



宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ。
他の神を拝してはならんと云う、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構。


同感です。



 他の宗教に走ってはならんと云う宗教もそれだけのもの。
判らんと申してもあまりであるぞ。
 同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今にあるのぞ。
同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ。
病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。
もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。
とけ入れよ。浄化が第一。
 金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。
区別と順序さへ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ。
金を拝めば金が流れてくるぞ。
金を拝み得ぬイコヂさが そなたを乏しくしたのぢゃ。
赤貧は自慢にならん。
無神論も自慢にならん。
清貧はまけおしみ、清富になれよと申してあろうが。


無闇にお金を否定する必要はありません。程度をわきまえれば良いだけ。



 怒ってはならん。急いではならん。
怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、思わぬ怒りが湧いてものをこわして了ふぞ。


「怒りは敵と思え」by徳川家康。



悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。
 よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆悉く大神の肚の中であるぞ。
大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ。
この道理をよく会得せよ。


人間は自分から見て敵対するものを悪と見なす。敵対する側から見ればこちらが悪。互いにその悪を攻撃するから報復の連鎖が生じ、ますますスパイラルから抜け出せない。ユダヤ人とパレスチナ人を見ていればこの道理は証明済み。
ただ道理でわかっていても、感情を乗り越えることが出来ないのが人間の限界なのか。



心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。
そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむしが生れてくるぞ。
我の病になって来るぞ。
その病は自分では判らんぞ。わけの判らん虫わくぞ。
わけの判らん病はやるぞと申してあるが そのことぞ。


先に出た、わけの判らん虫、病とはこのことでした。



 世界連邦と申してゐるが、地上世界のみの連邦では成就せん。
片輪車で、いつまでたってもドンテンドンテンぢゃ。
心して下されよ。
何故に霊界、神界をひっくるめた三千世界連邦としないのか。
いらぬ苦労はせぬものぢゃ。


やはりこの物質界だけでは先程の「乗り越え」はできそうにありません。知識で道理を理解しても感情を乗り越える何かしらの方策がなければ解決しません。



 行は、世界中の行、誰一人のがれるわけには行かんぞ。
めぐり果たしたものから、うれしうれしになる仕組。
そなたの心配 一応は無理ないなれど、何処で、どんなことをしてゐても、みたま磨けてさへ居れば、心配なくなるぞ。心配は、磨けて居らぬ証拠ぞ。


この度の行は世界規模で逃れようがない。カルマが浄化された者から順にアセンション。



けものを人間と同じにしようとしてはならん。
けものはけものとして導かねばならん。
金は金。鉛は鉛ぞ。
鉛を金にしようとしてはならん。鉛は鉛として磨かねばならんぞ。
浄化とはそのこと。世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。
見えたら先づ自分の周囲に知らせねばならん。知らすことによって次の道がひらけてくるのぢゃ。
自分だけではうれしうれしとならん。
うれしくないものは弥栄しないぞ。


周りを導いてやりなさいとのこと。



 そなたはまだ方便をつかってゐるが、方便の世はすんでゐるのぞ。
方便の教とは横の教、いろはの教、平面の教のことぞ。
仏教もキリスト教も回教もみな方便でないか、教はみな方便ぢゃ。
教ではどうにもならん。
ぎりぎりの世となってゐるのぞ。


宗教は低いレベルの我々人間の世界において、平和を維持するための一つの手段であった。が、しかしもう限界に達した。ぎりぎりになってしまったと。



 この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは大難を小難にし、又めぐりが一時に出て来て、その借銭済しをさせられてゐるのぢゃ。
借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。
損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。


これは先にありましたね。



 世界中を泥の海にせねばならんところまで、それより他に道のない所まで押しせまって来たのであるが、尚一厘のてだてはあるのぢゃ。
大神様におわび申してすっかり心を改めて下されよ。
神々さまも人民さまも心得ちがひ多いぞ。
泥の海となる直前にグレンとひっくりかえし、びっくりの道あるぞ。


この一厘の仕組みというのが、具体的にはよくわかりません。



三千年に一度の時がめぐり来てゐるのであるぞ。
為せば成る時が来てゐるのぢゃ。
為さねば後悔ぞ。
時すぎて種まいても、くたびれもうけ。


状況から見て何かあると踏むのが妥当だと思いますが。みなさんいかがですか?



大難は小難にすること出来るのであるが、無くすることは出来んぞ。

TOPに書きました。



そなたは無低坑主義が平和の基だと申して、右の頬を打たれたら左の頬をさし出して御座るなれど、それは真の無抵坑ではないぞ。
よく聞きなされ、打たれるようなものを そなたがもってゐるからこそ、打たれる結果となるのぢゃ。
まことに磨けたら、まことに相手を愛してゐたならば、打たれるような雰囲気は生れないのであるぞ。
頬をうたれて下さるなよ。
生れ赤児見よと知らしてあろうが。


これは難しいです。言うほど簡単ではありません。



 そなたは失業したから仕事を与えてくれと申してゐるが、仕事がなくなってはおらんぞ。
いくらでもあるでないか。
何故に手を出さんのぢゃ。
そなたはすぐ金にならねば食って行けない、金にならぬ仕事は出来ぬ、自分はよいが妻子が可哀さうだから、などと申してゐるが、どんな仕事でも、その仕事にとけ込まねば、その仕事になり切らねばならんのに、そなたは目の先の慾にとらわれ、慾になり切って、目の色を変えて御座るぞ。
それでは仕事にならん。仕事は神が与えたり人が与えてくれるのでないぞ。
自分自身が仕事にならねばならん。
この道理さへ判れば、失業はないぞ。
自分が仕事ぢゃからのう。


現在が異常な就職氷河期であることをわかっているコメントです。4、5年前なら該当しません。今、この神示が広まることを前提としているのがわかります。非常に不思議です。



拝む所へ ものは集まってくる。神も集まってくる。
足らぬものなくなるぞ。
余ることなくなって、満たされるのが まことの富ぢゃ。
清富ぢゃ。


ありゃ、拝んでいてはダメなのでは?具体的なアクションが重要なのでは??
最後にグレンとひっくり返してくれました。
まぁ、拝むことも重要ということで。



おしまい。
以後、五十黙示録へ・・・。


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